人と何かをやるとき、自分と同じ熱量だとは限りません。
相手が自分と同じ熱量でなくても、とまどわないようにしましょう。*京都駅にて
熱量の差を感じるとき
だれかと一緒に何かをするとき、相手と自分の熱量の差に、
とまどってしまうことがあります。
そのことに熱量を持ってやりたい私。
相手に対して
どうして、そこをやらない
どうして、そこまでやらない
これ、もっとやってみようよ
本当にそれでいいの
そこ真剣になるところでしょう
と、思うときがあります。
ときには怒りに近い感情も。
(まだまだ修行がたりませんね…)
最近もいくつかそんなことがありました。
ずいぶん前に相手に投げたボール。
なかなか帰ってきません。
なんども催促しましたが…。
あまりしつこいと「営業か!」と思われてしまいますし。
熱量の差にイライラしまいがちです。
熱量が違っても仕方がない
自分と相手の熱量を比べても仕方がありません。
そもそも違うものだと納得するようにしています。
ではなぜ熱量に差がでるのでしょうか。考えてみました。
興味・関心が違う
興味関心が違うと熱量も違うでしょう。
例えば冒頭の写真。
京都駅で撮ったサッカーチームの応援ボードです。
チームのファンであれば熱くなりますし一生懸命にもなるでしょう。
しかし、私のようにあまり詳しくないものにとって、
チームや選手に興味・関心がありません。
(どこが勝とうが負けようが…)
熱烈なファンとはとうぜん熱量は違うでしょう。
興味・関心は熱量の差を生みます。
思い入れが違う
思い入れも差を生みます。
・ここはどうしても完成したい
・これだけはやりたい
・これはむかしからやりたいことだ
・このためにがんばってきた
・好きで好きでたまらない
など。
そのモノ、そのことに思い入れがあればあるほど
熱量に差が出るものです。
いそがしい
いそがしさも熱量の差が出るものです。
そもそも、いそがしくて、
・かまってはいられない
・それどころじゃない
・次のことをやらなくちゃ
・時間をかけてはいられない
・すぐにでも終わらせたい
など、日常や仕事がいそがしければ、それどころではありません。
どうでもいい
どうでもよければ熱量は生まれません。
・無理やりやっている
・無理やりやらされている
・仕方なく
このようにやっていても、それはもはや人ごとです。
主体的に動いていなければ、そもそもやる気すら起きません。
得にならないとおもうこと
「自分にメリットが無い」と思うなら熱量は生まれません。
・これも仕事のため(稼ぐため)
・お金だけのため
・真剣にやってもなんの得にもならない
など、
「うまくいこうが、失敗に終わろうが関係ない」
という気持ちがあると熱量はありません。
反対に相手の熱量を奪うかもしれません。
熱量の差はこれらの理由によるものが多いのではないでしょうか。
すべてのことに熱量があるか
上記の理由で熱量の差は生まれるものです。
では自分はどうか振り返ってみます。
これらすべてに熱量はあるでしょうか。
①興味がないスポーツ
②思い入れがないモノ、こと
③時間をかけてまでやりたくないこと
④仕方がなくやっていること
⑤自分のメリットにならないこと
などはどうでしょうか。
私は
「いそがしすぎる」ことはないですし、
「無理やりやらされている」こともありません。
そして「お金のためだけ」にやっていることもないのです。
そのため①~⑤のうちすべて当てはまることはありません。
(そもそもすべて、やっていません)
もし、①~⑤の人と一緒にやったとすると
私は熱量がない人と思われるでしょう。
熱量に差が生まれるのは、とうぜんのことなのです。
相手と熱量が違うからといって、とまどうことなく、そして怒らないでおきましょう。
それはとうぜんのことだと思うようにしたいものです。
(相手はコントロールできませんから)
そして熱量の違う相手とは一緒にやらないようにしましょう。
(距離をとるのも方法です)
自分の熱量を消耗しないようにしたいものです。
■今日のあとがき
3/10(日)友人からスキー場で撮ってもらった動画を
編集されて送ってくれました。。
スノーボードとスキーのバージョン。
自分で撮る機会がないのでうれしいかぎりです。
友人は年々動画撮影の腕をあげていて、もはやプロ級です。
iPhoneでバンバン迫力のある動画を撮ってくれます。
滑りながら撮影しているのがすごいです。
■Something new Once a day
・豚ニラ温玉ぶっかけ