春がきて、満開の桜を多くの人が立ち止まって、見ています。しかし冬には立ち止まる人は誰もいませんでした。
伏見川沿いにて
春は必ずやってくる
むかし、ラジオで加藤諦三さんが言った言葉、「春がくると冬が違ってみえる」を大切にしています。雪国に住んでいるので特にそう思えるのかもしれません。
今年の金沢の雪は、少なく、楽なシーズンでした。しかし2年前の冬は例年になく雪が降りたいへんな年でした。毎日毎日の除雪作業。日々の生活にも支障をきたしていました。
うちの場合、幸いにも両親が健在。老体に鞭を打ちつつ、自宅周辺の除雪をしてくれたので助けられました。
仕事を終えて、職場の駐車場で雪に埋まった車を掘り出し、自宅に戻り、自宅駐車場の除雪。朝になって車を掘り出し、出勤。そんな毎日の繰り返し。
私だけではなく、ほとんどの人がそうだと分かっていましたが、まいってしまいました。雪をどける場所もなくなりました。
しかし、やってこられたのは、きっと知らず知らずのうちに、ずっと除雪が続くわけでもなく、3月になれば雪がへり、4月になると春がくると思っていたのではないのでしょうか。
結果も必ずやってくる
春が必ずやってくるように、していることの結果も必ずやってくる、いや出てくるのではないでしょうか。
当然のことだと分かっていますが、春がくるまで、そして結果が出るまで。苦しいものではないでしょうか。
例えば練習。なかなか成果が出ないもの。トレーニング効果も感じにくい。未来が予言され、確実にいい結果が出ると分かっていれば、頑張れるでしょうが、そんなことはないでしょう。
私もたくさん苦しみました。大学を卒業し、何年間もチャレンジしても正式採用になれなかったこと。スキーのインストラクターになりたくてチャレンジしてもすぐには合格できなかったこと。あるトレーニング資格の実技試験を1年かけて取り組んだが、最初の年はパスできなかったことなど。きりがありません。
しかし、今となっては、
・正式採用にならなかったから、13年前新たなチャンスをいただき、今があること。
・スキーはいまだに下手ですが、初心者の指導が得意になったこと。
・実技試験をパスしたことで、飛躍的に仕事の視野が広がったこと、同志が増えたことなど
これまた、きりがありません。
結果オーライと勝手に変換させているところがありますが。
内容は違うでしょうが、こんなようなことはみなさんにも、あるのではないでしょうか。
では何かに取り組んでいるときや苦しいとき、私はどう心掛けているのか
・トレーニングがつらくても結果が出ると信じる
・つらいことを楽しむ・・・と錯覚するようにする
・正しい努力をする
・惚れた人から学ぶ
・いい結果が出るとは限らないが、いい結果が出る確率を上げる、と信じる
と、いったところでしょうか。心の持ちようばかりの気がしますが。
春になったら冬を思いだす
春になったら、冬を思い返すことありません。
人は勝手なもの、2年前の冬のことも今となっては、すっかり忘れています。時々、当時の笑い話、悲惨さ自慢を人から聞くだけです。
あんなにつらかった冬、でも春がきたのです。
春になったことを感謝するために、冬のことも思い出さなくてはいけないのではないでしょうか。
そして、私は、今という結果について、ときどき当時のことを思いだし、自分をチェックするようにしています。例えば、
・13年前のチャンスを生かしているか
・初心者に対して高慢になっていないか
・実技能力は衰えていないか
など。冬の時代(苦しいとき)を思いだしているのです。
春がくると冬が違ってみえる。そう思っていたら、つらいときや、苦しいときもいまを乗り切れるのではないでしょうか。
そして乗り切ったとき、いま一度、当時のことを思いだすのも、いいのではないでしょうか。
おまけ
桜が満開です。もう少し気温が上がると最高ですね。