先日、スキークラブの納会に出席してきました。クラブにはシーズンが始まる前の総会と、先日出席した納会が、あります。
クラブのTシャツ
スキークラブ
私は金沢市内の、あるスキークラブに所属しています。
スキーのインストラクター(イントラ)を
本気で目指そうと思ったときに
入会したので、もう23年くらいの所属になります。
最近は、シーズン中のクラブの講習会や、合宿、全日本技術選手権大会の応援にほとんど参加していません。
クラブ行事の参加は、納会と総会だけです。
他の行事にも参加したい気持ちはありますが、トレーニングコーチの仕事をしていると冬は繁忙期。
クラブの講習会は土日にあるので、さら参加できません。
またスノーボードのインストラクターでもあるので以前は日程が重なっていました。
クラブの仲間には総会や納会に参加するたびに、「スキー辞めたんでしょ」「ボードでしょ」とからかわれます。
あいさつ代わりになっているので、私も「辞めました」といつも言っています。
一緒にイントラを目指した同期も、年々、参加しなくなってきました。今回も、先輩方や、最近入会した人ばかりでした。
ちょっと寂しいですが、スキーを教えてくれた師匠や、お世話になった先輩方は必ず参加しているので、納会、総会だけでも参加するようにしています。
その納会で、白山のスキー場が、以前まで6つあったことが話題になりました。
以前は6つもあったんです(現在2つ)
白山には6つのスキー場があった
少し前まで石川県の白山麓には6つのスキー場がありました。
現在は、2か所のみ。1か所は大会期間中だけ開いています。
どのスキー場にも、よく行きました。大学卒業の頃はバブルの最後の時期。スキー場もにぎやかでした。
私もスキー命でしたので本当に楽しい時期でした。
記憶はあいまいですが、閉鎖されたスキー場を含め、スキー場の
ことをまとめてみました。
白山一里野温泉スキー場
現在もある、とても大きなスキー場です。県内唯一、ゴンドラがあり
シーズンもにぎやかです。
私はここで、スノーボード2級、1級、準指導員(インストラクター)を受検し、不合格なしのスキー場です。
スキー学校もボードのインストラクターとして3年所属しました。
全日本スキー連盟(SAJ)のスキー学校と日本プロスキー教師協会(SIA)の黒ゆりプロスキースクールがあるのが特徴です。
私はSAJのスキー学校所属でしたが、黒ゆりプロスキースクールの校長は高校時代の同級生なので、よく話をしに、いっていました。
ちなみに彼は、オーストリアにスキー留学をしていてオーストリアのプロのインストラクターです。(オーストリアでは国家資格です)
白山セイモアスキー場
現在もあります。プロスキーヤー三浦雄一郎がコース設計に携わりました。私のスキークラブの本拠地です。
当時、うまかった先輩方の滑りをみて、いつかここでインストラクターをしたいと思っていました。
イントラになって配属の第一希望はココでしたが、希望はかないませんでした。
今まで一番行っているスキー場です。
スキーのインストラクターの検定では1回落ちました(不合格2年目)
3回目で合格したのもここです。
石川県技術選手権にも2年出場しました。98位と105位でした。140人ぐらいの参加でしたから下の中ぐらいの成績でしょうか。
やはり下手です。
そして、6年前、スノーボードで転倒。左足関節骨折、腓骨骨折。
大変なけがでした。
当時はパトロールの人も知り合いが多く、
助けを求めるのが恥ずかしくパトロールを呼びませんでした。
転倒場所から、駐車場まで自力で滑り、50分車を運転して勤め先の病院に行きました。即入院。次の日、院長に手術をしてもらいました。
たいへんな目にあいましたがやはり一番好きなスキー場で
いまだに、あこがれのスキー場です。
鳥越高原大日スキー場
ファミリーゲレンデの代表でした。
2007年に閉鎖。私はココでスキーインストラクターデビューしました。
所属は第二希望でしたが、念願のイントラになれましたし、スキー関係の友だちもたくさんできました。
毎週スキー学校に来るのが楽しかったです。
生徒さんは、小学生の初心、初級者ばかりで、苦労しました。
スキーイントラは女性にモテる!は嘘でした。
子どもにはモテましたが。
ココでは初めて、インストラクターの検定を受けました。
クラブの同期は3人とも粉砕。
私ともう一人は次の年もセイモアで不合格でした。
スキー1級の不合格もココでした。
1回も合格させてくれないスキー場でした。
しかし、一番お世話になったのがココなので不思議なものです。
スキーのバッジテストの検定員もしました。
苦労して、なったばかりだったので、採点は厳しめだったかも。
今ならもう少し、点数が高かったかもしれません。
ココでスノーボードに出会いました。
ボードのイントラを目指すきっかけを作ってくれたのはココのおかげです。
愛してやまないスキー場でした。
白山中宮温泉スキー場
2008年閉鎖。
鳥越高原スキー場が閉鎖され、次の年、1年だけスキー学校を手伝いました。次の年、閉鎖でしたから、鳥越高原も含め最後のスキー学校2つを見届けたことになります。
スノーボードの導入が早く、若者のスキー場のイメージがありました。
スキーバブルの頃は土曜日にオールナイトでやっていました。
私も何回も行きました。
当時で言う、ヤンキーが多くいました。
チケット転売防止のため、剥がすと、あとが残るステッカーを
ストックに貼るシステムでした。とても懐かしいです。
白山白峰温泉スキー場
2009年閉鎖。現在スキー大会のみオープン。
隣にはクロスカントリー場。
金沢から一番遠いスキー場でした。
ココは全シーズンスキーができる時期がありました。
プラスノ・スキーと言って、プラスチックの上を滑ります。
夏はスプリクラーが水を出しながら回っていて、
そこを滑ります。スキーの師匠となる人に初めてレッスンを受けたのは
ココでした。
雪が降るまで週末はずっとボーゲン(八の字)やプルークボーゲン(八の字でターン)をしていました。
一生分のボーゲンをしました。
一緒にインストラクターを目指し検定を受け続けた私と友だち(2回落ちて3回目に合格)
友だちのスキー学校所属がココでした。
そのこともあり、ちょくちょく行くようになりました。
スキー競技の役員ボランテアとしても、よく行かされました。
「行かされました」スキーは体育会系です。
白山瀬女高原スキー場
2012年まさかの閉鎖。驚きました。
スキー1級合格はココ。師匠もわざわざ見に来てくれて
本当に感激しました。
本気モードではなく、ときどき遊びモードで来ていたスキー場です。
ゴンドラがありました。
ココで、スノーボードの大会に初めて出場しました。
後にも先にもココでボードの大会はなかったので、結果的には歴史に残る大会でした。
(大げさです)
私はボードを始めて2年目に大会に出場しました。
なんと3位。表彰状もらいました。
いい思い出しかないスキー場でした。
書いていて、思い出したこともたくさんありました。
6つが2つになりました。
本当に残念です。仕方がありませんが。
スキー場との、かかわり方。スキーとのかかわり方。
スキー場が減ったこともあり、スキーやスノーボードのインストラクターは、現在、していません。
スキー場のスキー学校にも所属していませんし、
スキークラブの活動もあまり参加していないので、スキーとのかかわりが、少なくなっているようにみえるかもしれません。
しかし、細い線ですが、まだつながっています。
石川県の科学的トレーニング特別強化事業としてです。
これは国体で上位入賞が期待されるチームや個人に
アスレティックトレーナーなどが合計12時間、派遣される事業です。
3年前より、スキーのアルペンと、クロスカントリーを担当しています。
スキーのレッスンや、スキー場に行くのではなく、
スキーやクロスカントリー選手のトレーニング指導が私の仕事です。
かたちは違っていますが、何かしら、スキーに貢献しているのではないかと思っています。
スキーにかかわれる、とても楽しい仕事の1つです。
海外に行ってないSNOWスポーツの選手は、6か月弱、陸上でのトレーニングです。
まだまだトレーニングコーチが貢献できることがあるのではないかと思っています。
スキーのインストラクターになりたいと思ってから20年あまり。
現在はスキー選手のトレーニング指導をしているとは、不思議なものです。
Once a day(1日1回新しいことを)
むさしの森珈琲 モーニングセットB
山下ミツ商店 あつあげ定食
編集後記
暑い日が続きます。昼にかけて車で出かけましたが、
冷房が必要でした。
窓を開ければいいのでしょうが、カモガヤが。
舌下免疫療法試してみたいです。
でもカモガヤにも効くのでしょうか。