「トレーニングをこなす」という考え方

「トレーニングをこなす」というよりも
「トレーニングをやりきる」を目指したいものです。

*ある日の練習内容

 

「こなす」と「やりきる」

「こなす」と「やりきる」
ものごとを終わらせることは同じですが、取り組み方が違うのではないでしょか。

 

ウエイトリフティングの練習をしてきました。
週に1回程度、隣の市の高校で練習をしています。
(車で片道40分ほどでしょうか)

練習ではウオーミングアップをしたあと、今日の内容が伝えられます。
毎回しんどいですが、90分やりきっています。
終わったあとは、へとへとになって帰るのですが、いつも達成感があるのです。
「行ってよかった、やってよかった」と。

90分間、練習内容を「やりきった」ことからくる充実感でしょう。

この「感覚」、達成感や充実感。
今の私だからわかるのだと思っています。

なぜなら、今の何十倍の練習を4年間してきた大学生時代。
そのときにはこの感覚がなかったからです。
(ウエイトリフティング部ではなく、ほかのクラブでしたが)

 

 

トレーニングを「こなしていた」大学時代

今はトレーニングをやりきっていますが、大学時代はトレーニングをこなしていました。
もったいないことをしていたものです。

 

大学の1、2年生のときは先輩が。
3、4年生のときはキャプテンが立てた練習をやっていました。
毎回ハードな内容だったのでふらふらになりながら。

今のように主体性がなく、練習内容を順番に「こなして」いたのです。
練習後はいつも
「今日もなんとか終わった」
といった感じでした。

今になって思いますが、
「なんとか、こなすこと」
「なんとか、終わらせること」
「なんとか、楽をすること(しんどくないこと)」
ばかりを考えていたのでしょう。

そんな状態で練習をしていたので、結局4年間、
いい成績は残せませんでした。
(センスがなかったのかもしれませんが)

 

それでも学生時代は練習をまじめにやっていました。
しかし今の感覚はわかりませんでした。

充実感や達成感がわかるようになって、はじめて
大学時代のダメだったところがわかったのです。
もったいなかったなあ、とも。

残念ながら、大学時代は練習を「こなして」いたのです。
大学時代の後悔のひとつです。

 

言いかえる→気持ちもかわる

「これ、こなしているなあ」と思ったとき、「これ、やりきらなきゃ」と
言いかえるようにしています。
言いかえると気持ちもかわるからです。

 

大学時代のひとつの後悔。
「こなす」という考え方。

それに懲りているにも関わらず、ときどきそう思ってしまうことがあります。
(まだまだ修業が足りません)
そんなときは、「やりきる」と言いかえています。

先日、ある作業を繰り返しやっていました。
「こなす」ような、作業はやらなければいいのですが、
どうしても必要な作業。
繰り返しを「こなして」いたのです。

「あっ、これはダメだ」
と思い、「やりきるためにやっているのだ」
と、言いかたをかえたのです。

しんどさはあまり変わりませんでしたが、
気分が少しだけかわりました。
「さあ、もう一回、もう一回」
と、主体的に取り組むことができたのです。

終わったあとは少しだけ達成感がありました。
(あくまでも少しだけですが)

言いかえをすると気持ちもかわるのだと
改めて感じたのです。

よくサポートしている選手にも言っています。
「『こなす』は受動的。『やりきる』は主体的。
競技することを、自ら選んでいるのだから、練習も主体的にやろう」
と。

選手でなくても何かやらなければいけない課題があれば
「こなす」よりも「やりきる」を目指しましょう。

 

 

■今日のあとがき

昨日、確定申告を。
会計ソフトを立ち上げたらまさかのアップデート。
よりによって…でした。
40分で無事終了。気持ちが楽になりました。
事務仕事をしたあと、夕方は高校へ。
ウエイトリフティングを90分間、全力でやってきました。

 

■Once a day(一日一回新しいことを)

・台湾カステラ ファミマ

 

おしらせ 2  
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